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誕生寺 (玉名市) : ミニ英和和英辞書
誕生寺 (玉名市)[たんじょうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

誕生 : [たんじょう]
  1. (n,vs) birth 2. creation 3. formation 
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [たま, だま, ぎょく]
  1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin
: [な]
 【名詞】 1. name 2. reputation 
: [し]
  1. (n-suf) city 

誕生寺 (玉名市) ( リダイレクト:蓮華院誕生寺 ) : ウィキペディア日本語版
蓮華院誕生寺[れんげいんたんじょうじ]

蓮華院誕生寺(れんげいんたんじょうじ)は、熊本県玉名市築地にある真言律宗の寺院。山号は高原山(たかはらさん)で、本尊は皇円大菩薩。寺格は別格本山であり、奈良の西大寺を総本山とする。平安時代後期か鎌倉時代初期に創建され戦国時代に焼失した浄光寺蓮華院の跡地に、皇円から霊告を受けた初代住職の川原是信が昭和5年(1930年)に、蓮華院誕生寺として中興した。檀家はなく、信者や一般の人のために祈祷をする祈祷寺である。
江戸時代に著された肥後の地誌「肥後国誌」には、この地に浄光寺蓮華院があったと記載されているので、寺名はここから蓮華院を取り、また本尊皇円が誕生した地に中興した寺という意味で、蓮華院誕生寺と称している。
== 所在地 ==



本院 〒865-0065熊本県玉名市築地2288
奥之院 〒865-0065熊本県玉名市築地1512-77
蓮華院誕生寺は本院と奥之院の2つの寺院から成る。本院は玉名市築地にあり、そこから北に4kmの小岱山中腹に奥之院がある。
== 住職 ==
*初代  川原是信(在職、1930年~1977年)1896年生れ
*第2代 川原真如(在職、1977年~1992年)1926年生れ。佐賀県東妙寺の住職を経て蓮華院誕生寺の住職となる。
*第3代 川原英照(在職、1992年~ )1952年生れ。同じく佐賀県東妙寺の住職を経て蓮華院誕生寺の住職となる。
== 行事 ==
各月13日をご縁日、3日、23日を準ご縁日として、法要が営まれる。法要は僧侶による理趣経の誦唱と真言宗の在家勤行次第を僧侶と信者が誦唱、その後住職の法話が行なわれる。また本尊皇円大菩薩の入定の日6月13日を大祭と定め、12日の夜は奥之院から本院まで信者たちが灯籠をもって行列する「龍火下り」、護摩祈祷などが行なわれ、13日早朝に御遠忌法要が営まれる。
奥之院では毎月一度、五重塔で功徳行が行なわれている。11月3日が奥之院の大祭で、また12月31日の大晦日には大梵鐘を打鐘する除夜の鐘法要が営まれる。
== 本尊 ==
皇円大菩薩。皇円(こうえん)は、平安時代後期の天台宗の僧侶で実在の人物。没年は嘉応元(1169)年6月13日。96歳で没したとされるので、生年は承保5年(1074年)か。蓮華院誕生寺では、本尊として大菩薩の尊称を付け、皇円大菩薩と称している。〔皇円については、望月信亨編『仏教大辞典』第一巻 p.1026〕
関白藤原道兼の玄孫(孫の孫)、肥後玉名荘築地(ついじ)に生まれた。父は豊前守藤原重兼。幼くして比叡山に登り椙生(すぎう)流の皇覚のもとで出家得度し顕教を修め、さらに密教を成円に学び、二人の名前からそれぞれ一字を取り皇円と称したとされる。比叡山の功徳院に住み、肥後阿闍梨(あじゃり)と称された。浄土宗の開祖である法然は、晩年の皇円のもとで出家得度し弟子となった。
皇円は史才のある学僧でもあり、「扶桑略記」(扶桑は日本の異称)を著している。扶桑略記は日本最初の編年体の歴史書としてよく知られ、神武天皇から堀川天皇までを、主に日本への仏教伝来や発展史、神社寺院の縁起に着目して記述した貴重なものである。
皇円の事績に関する同時代の直接の記録は殆どなく、鎌倉末期に編まれた法然に関する「拾遺古徳伝」や「法然上人絵伝」に頼らざるを得ない。それらによると、嘉応元年(1169年)6月13日に、遠州桜ケ池に龍身を受けて入定した、つまり身を龍体に変えて池の中で密教の修行に入ったとされる。平安末期に盛んとなった弥勒下生信仰つまり弥勒菩薩釈迦入滅後56億7千万年後にこの世界に現われて三度説法をして衆生を救済するという信仰のために、そのときまで菩薩行をして衆生を救うという願いを立てたものと思われる。遠州桜ケ池は静岡県御前崎市浜岡に現存する直径約200m余の堰き止め湖で、湖畔には瀬織津比詳命(せおりつひめのみこと)を祭神として祀る池宮神社(御前崎市佐倉5162)がある。皇円は神社に祀られているわけではなく、桜ヶ池自体が皇円の修行の場所として神聖視され、水際に皇円阿闍梨大龍神と書かれた祭壇を設けて参拝の場所としている。秋の彼岸の中日には、赤飯を入れたお櫃を池に沈めて奉納する「お櫃納め」の行事が行なわれている。また約10km離れた応声教院(静岡県御前崎市中内田915)には、龍のウロコと称されるものが祀られている。
== 略年表 ==
*永仁6年(1298年)   佐賀県東妙寺の東妙寺文書に「肥後国浄光寺」の文字が見られる。
*天正9年(1581年)   戦国時代の争いで焼失
*昭和4年(1929年)   12月10日早朝、川原是信が皇円より「蓮華院を再興せよ」との霊告を受ける。
*昭和5年(1930年)   3月21日、仮本堂が落成。
*昭和12年(1937年)  阿闍梨堂が落成。
*昭和15年(1940年)  石造円門が完成。「御願成就 皇紀二千六百年 田中虎吉」の銘がある。皇紀二千六百年は昭和15年。
*昭和25年(1950年)  世界平和祈念大願堂(通称「大願堂」で、112畳敷き)が落成。
*昭和41年(1966年)  現本堂が落成。
*昭和52年(1977年)  奥之院大梵鐘が完成。
*昭和53年(1978年)  11月3日、奥之院が小岱山中腹に落成。落慶法要。
*平成9年(1997年)   4月12日、五重塔の落慶法要。
*平成17年(2005年)  4月10日~14日、ダライラマ14世来山。本院で世界平和記念護摩法要、奥之院で法話会を行なう。
*平成23年(2011年)  5月23日、南大門が落成。落慶法要及び四天王開眼法要。
== 沿革 ==

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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